相手に「正対」する人材育成
研修の最前線で活躍する講師へのインタビューを通じて、人材育成について考えるシリーズ。
階層別マネジメント、プロジェクトマネジメント、技術部門のリーダー育成等のテーマで活躍する関根利和講師が、技術部門にとっての”組織マネジメントの重要性”と”人材育成の意味”について語ります。
会社が崩れた経験から、マネジメント分野のコンサルタントに
―関根さんが技術部門のマネジャー育成というテーマに携わるようになった経緯やきっかけについて、まず教えてください。
(関根)
私はもともと、IT技術者でした。31歳のとき、会社を立ち上げました。
バブル期の最後には20人ぐらい社員がいましたが、バブルが弾けて木っ端微塵になりました。その理由は、技術さえあれば仕事が来ると、経営者の私が思っていたからです。
看板、人脈、うまくやるためのチームワーク、社員の育成など、技術とは全然違うところから、会社が崩れていったのです。
―そうした点には力を入れていなかったのですか。
(関根)
全く分かっていなかったので、力を向けていませんでした。そんなところから、会社が崩壊することさえも知りませんでした。技術さえあれば何でもできると、信じていましたからね。
仕事ができ上がることと、でき上がって組織を作って運営することは違いますよね。
自分で仕事を取ってきて、一人で仕事をし、他の人は何もしないのでは結局、経営者ではなく技術担当のままです。
「私は何をしたらいいですか」というメンバーがいたら、その分お金を無駄に食いつぶしていることになります。だから結局うまくいきませんでした。その時に痛感したのが、経営の結果を出していくためには、「技術以外の仕事もとても重要だ」ということです。
他方でIT系のセミナーでの指導もずっとやらせてもらってきました。テーマの1つに、ソフトウエアのマネジメントがあります。
大切な点は、どうすればソフトウエアやシステムなどのIT製品をお客さんに喜んでもらえるのかということです。会社運営の失敗を経験したことで「技術以外のことをちゃんとやらないといけない」と思い直しました。
私は専門的な技術が好きで、興味を持っています。でも、技術はどんどん変わるし、自分以外の他の人ができることでもあります。
だから、マネジメントする側になったら、一技術担当とは異なるその役割を自覚しつつ、技術者としっかりやり取りもできなければいけないとも思っています。
技術部門のマネジメントの難しさは?
―やはり現場感があって話がわかることが求められるのですね。
(関根)
技術を理解していなければいけないところが、技術部門のマネジメントの難しいところです。技術部門で畑違いの部門へ移った人は、みんな同じような悩みを持っています。
今会っている研修受講者からは、「僕らの話が全く伝わらないときは、どうすればいいか」という質問が毎回のように出てきます。
―顧客からの要望や商品の機微について、他部門から来たマネジャーが理解しきれていないことに、担当者も悩んでいるかもしれませんね。
(関根)
技術以外の部門も同様の悩みはあると思いますが、技術系部門の専門性の差は非常に大きいと思います。あまりにも専門的になると、とてもついていけません。でも実際にマネジャーになると、仕事のパフォーマンスを上げ、他部門などと様々な調整をしなければいけません。だから、技術を分かっていることが必要なのです。
技術が分からないまま長になったとしたら、単純に「売り上げを上げろ」と尻を叩くだけで終わりになります。無謀なことだって平気で言えるかもしれません。
上司と部下の距離感は広がって、誰もついていかなくなることも起こりえます。
―マネジャーを目指したいと思う人も、そういう意識や覚悟が求められますね。
(関根)
特に、技術系や研究開発系のトップになる人は必要だと思います。
技術において優秀であっても、マネジメントも優れているとは限りません。
それで、これから“プロジェクトマネジメント”というテーマも力を注いでいかないとと思っていた時に、「階層別研修の講師を探しています」と声をかけられたのが、JMAでマネジメント系の研修を担当するようになったきっかけです。それ以前は「マネジメント」の「マ」の字も曖昧にしか理解していませんでした。
でも、“教える”ということは教える本人が1番、勉強になるものです。だから、貪欲に勉強しましたよ。経営学を遡り、なぜ今、こういうことを教えるのか考えながらやってきました。
15年以上にはなりますかね。40代後半のころには自分より若い人を教えていました。
50代になると、同じ年代の人たちが相手です。今はみんな、自分より年下になりました。
―既任のマネジャー向けもあれば、その手前の人も対象ですか。
(関根)
これからのマネジャーとして期待される、プロジェクトリーダークラスが多いですね。
「上司として”がっかりする覚悟”はありますか?」
―あらためて、「マネジメント」というテーマの重要性についてお考えを聞かせてください。
(関根)
マネジャー、リーダーのマネジメント能力は、人の育成に格別大きく関わってきます。しかし技術者はマネジメントやコミュニケーション、人材育成に正面から立ち向かおうとしない傾向があるのです。
―苦手意識があるのでしょうか。
(関根)
人材育成に対する苦手意識は払拭しなければなりません。
私は技術者こそ、それらに正面から取り組まないといけないと思うのです。
本当はむしろ、技術者の方が「不案内なことを探究し学ぶ」のが得意なのではないでしょうか。
技術者に限らず、そもそも人を育てることがなぜ大事なのか、考えなくてはなりません。
業績のことだけを考えたら、経験豊富な上司が自分でやった方が早いです。できない人には任せたくない、という力が働きます。
でも、任せないと人は育たないものです。 私はいつもこう言っているのです。
「能力というものは、どうやったらできるかを分かって、実際に行動や結果を出せることだから、部下が経験したことのないことをやり、答えを出せるようになったら、能力向上でしょう」とね。
ということなら、部下には今までに経験していないことをやらせるしかありませんよね。
でも、それはリスキーな部分を大いに含んでいます。だから、上司として「がっかりする覚悟はありますか」と、問いかけるようにしています。
この問いはとても重要なことです。
本気でがっかりする覚悟もない人が、人材育成なんて言葉を出しても、すぐにばれますよ。
「指導」と「育成」の違い…育成とは“教えないこと”?
―研修というものが人材育成にどんな効果をもたらすのか具体的に説明してほしいとお客様から求められることは多くあります。
(関根)
研修はあくまでいくつかある手段の1つに過ぎません。「指導」という言葉と「育成」という言葉がありますよね。私個人の定義になりますが、「指導」は「こうやりなさい」と教えることです。 マニュアルや標準作業、(成果を生む行動特性を指す)コンピテンシーなどが、こちらに含まれるテーマだと思っています。しかし、「育成」は、極論を言うと“教えてはいけない”のです。
―“任せる”とか“見守る”といった方向ですね。
(関根)
子どもがいるとよく分かりますよね。違う言葉でいうと、(禅の)『冷暖自知』ですか。
熱いも冷たいも自分で体験すればおのずと理解できるといった意味です。
子どもがハイハイしているとき、落ちても大丈夫な小さな段差なら、落ちてみた方が危険がわかるようになるのです。マンションの上階でそれをやられたら、大変なことになってしまうので、途中で手を出してしまい「この辺でやめろ」といってしまいます。でもそうやっていつも手を出してしまうと、本人がわかる・育つ機会は失われます。見守る側の人間としての度量が問題になってきます。
―“待つ”という要素も大きいですね。
(関根)
そうです。“任せる”も同じことだと思います。“任せる”というと当たり前で普通だと考える人もいますが、それは違います。これは相当高い人間教育になります。手を出さず、失敗もさせないといけませんから、時間がかかります。痛いこともケンカもさせます。ケンカのときはどこで止めなければいけないか本人が思い知ることが大事になってきます。見守り、待つということは、相当にレベルの高いことなのです。
“任せる”とは環境を整えることであると同時に、仕事を与えるということでもあるのです。仕事を与えるということを、管理職の皆さんはどう考えているのでしょうか。
「指導」の大切なポイント
―動きとしてわかりやすい“指導・教える”の方に重きを置いている人も多いように思います。
(関根)
“指導・教える”についてもポイントがあると考えています。大手日用品の企業では、店舗の行動が洗練されたマニュアルになっていて、行動指針が書いてあると言います。だから、“教える”とは行動提起なのだそうです。
職場を良い状態にするために難しいのは、全部“教える”わけではないことです。
仕事を成功させるために、抽出したポイントをどう規定するかが問題になってきます。
計画のスケジュールやマイルストーンも同じ話ではないですかね。
私はこれをかみ砕いて“コツ”と呼んでいます。例えば「企画書をうまく書くときのコツを教えてほしい」といわれた時に 、“コツ”を見極めていない人が、“指導”などできるはずもありません。
―より短い時間で、自分が担当する仕事を覚えることが求められている時代です。
だから、“指導”もとても重要になりますね。
体験させ、見守ることはなぜ大切か?
(関根)
再び、「指導」から「育成」の話に戻ります。私は最近になって「任せる」ということを、特に語らなければならないと思い研修の中で意識して話すようになりました。そうすると、その部分に着目して受講レポートを書いてくる参加者が増えたのです。
―どんな感想が寄せられましたか。
(関根)
「人を育てるという立場の本当の役割や難しさが分かった」とかですね。
先ほどお話した親が子どもを段差から落とすか、落とさないか、どこまで見守ればいいのか、そんなことを、仕事で言えば部下1人ひとりに向かってやっていかなければなりません。対人関係としてその部下と「正対する」必要が絶対に出てきます。
苦手な部下であってもきちんと向き合わなければならなくなります。
心がすごく鍛えられることです。私は「人材育成とはそのことではないか」といいたいのです。「苦手な人に対してもできますか」と聞きたいわけです。JMAも人材育成を語るのなら、「自分たちも本気でやる覚悟がある」と言わなければいけない気がします。
研修にマネジャーの人が集まったら「人を大事にし、人が人生で良い生き方をできるようにすることが良くないですか」、「企業は人が育つ場だと考えたほうが良くないですか」というようにしています。
業績も要求されるので、仲良しクラブになることは許されず、個人のレベルを上げることも求められるわけです。皆が一生懸命に育つ場であり、業績も問われる場でもある中で、どう人を育てるかを考えるのが企業でありそのマネジャーだと思います。あらためて企業って良い場だなと思い始めているところです。
「人材育成」が経営に与えるインパクト
―研修でお会いする技術系部門の受講者で、“人材の育成が自分の役割だ”と強く意識している方は、数字を求められる部分と、1人ひとりのメンバーの育成を大事にしていきたい気持ちがある中で、自分1人でその難しさを抱え込んでいるように感じました。
(関根)
本当はこんな感じではないでしょうか。 「人材育成」の歯車があり、別に「顧客」を動かす歯車があります。
さらに、最終的に「財務」を回す歯車もあります。
今まではCSに力を入れて「顧客」の歯車に焦点を当てたら、「財務」が良くなり、それに合わせて「人材育成」も進みますという感じでした。
でも、あえて「人材育成」の歯車こそ最初に動かせというべきだと私は思うのです。
「財務」から着手するのは株主資本主義的な発想で、アメリカ的です。 後は強制的にキャッチアップしてこいみたいな感じです。スピードはありますが破壊も伴うでしょう。
他方、人材輩出企業が、人材が出て行っても永く業績がいいのは、人を育てることに徹しているからなのではないでしょうか。長続きする財務力が備わると思います。
小ぶりですぐ回る「財務」の歯車と比べ、「人材育成」の歯車はとても大きく、なかなか回転しません。力も要ります。それでも 「人材育成」にこそ注力して、業績につなげる、と決意しなければならない時が来ているのではないですか。これは経営者の決意の問題です。
先ほど上司が部下を思いやって苦しい、という話がありましたが、部下が成長するのは、恐らく難題を課されて手助けされなかった時だと思います。
それで修羅場になったのに、誰も助けてくれず、もがいた末に乗り切った時、自分でも「力がついた」と思うはずです。本当に優れた上司は、知っていて手を出さないのです。
部下からしたら、気づくのはきっと後のことでしょう。 気づいた時に上司はもういません。
悲しい話ですが、人を育てるのが上手な上司は、いるかいないか分からないようなものなのです。親のありがたみが、親がいるうちは分からないのと同じですよ。
育成する人の理想の姿は「応援団」
―育成する側は、一時的には嫌われることもある役割とも思えます。
(関根)
育成する人は、うっとうしいと思われたり、時には憎まれるかもしれません。
私は応援という言葉が好きです。応援団というのは、外野で煩わしく叫んでいる奴ですが、これを悪くとってはいけません。
本当に優れた応援は外野で「頑張れ」といっている奴が、自分自身も頑張っている時だと思います。
余談ですが、重松清さんの「あすなろ三三七拍子」という本があります。
内容は応援団のことを書いたものです。その中にいくつも名言があるのです。
「応援団ってバカバカしいですよね。腕立て伏せしてうさぎ跳びして意味もない練習をずぅっとして。スポーツもしないし」という質問に対し、「いいんだ。俺たちは頑張っている人たちに『頑張れ』という不遜な奴らなんだ。『そういうお前は頑張ったことがあるのか』と問われるから、俺たちは無意味なことを頑張っているんだ」という一節があります。
なるほどそれが応援かと思い、私は感動しました。 育成する、見守るとはそれに近いことではないでしょうか。
本当は自分が練習して野球部に入り、強くなった方がいいのに、野球部が勝ったら一緒に喜び、負けたら「元気を出せ」という。これはすごくないですか。
―精神的にすごいことですし、役割として演じてできることですよね。
(関根)
だから、たくさん腕立て伏せをして練習するという部分に「なるほど」と感じました。
任せるということは、自分がバッターボックスに行かないことなのです。
「私にはできるが、自分は行かないで他人に任せ絶えずエールを送る」ということが、腹落ちできていない人は、マネジャーにもいますね。そういう人はすぐに限界が見えてきます。
「人の育成に特化する」とはどういうことなのか、何をどういう風に任せるのかを、教える側、伝える側もきちんと整理しておかなければなりません。
「自分から学ぼうとしない限り、学べない」
―研修受講者の方に向けて、毎回特に意識されていることはどんなことでしょうか。
(関根)
基本的には“体験から自分で学んでもらう”のだと説明しています。
ですから、「自分から学ぼうとしない限り、学べませんよ」といっています。
研修の冒頭に「熱いも冷たいも自分で分かるようにならないとだめだ」と口を酸っぱくして説明しています。今日学ばない人は今日来た意味もないでしょう。
だって学びに来ている人が学ばなかったら、今日という日を捨てたことになりますよ。
極論かもしれませんが、生きたことにもなっていませんよ。
私はプロとして、受講者の方の人生にとって大切であろうと思うことを、自分という人間を通して語っているつもりです。「何も教えてもらえなかった」といわれたら、私は「あなたの問題だ」といいます。
自分が成長する気があるかどうかが肝心です。
―育成する人の役割の重さについてお話してきましたが、育成される側のスタンス作りも大事ですね。
(関根)
さらに突き詰めていくと、本人が、仕事や人生で成長することを、自分の中でどう位置づけていくかが問題になってきます。成長は必要ないと考える人は、学ばなくていいと思います。
リベラルアーツを勉強したらすぐに分かると思いますが、何のために生きているのかということは、その人が自分の人生をどうするつもりなのかということを、逆の方向から質問していることになります。
「今日という日をどう過ごしますか」、「この学習の場を与えられたことをあなたはどう捉えますか」というと、「私は望んでここに来たわけではない」という答えが返ってきたとしましょう。
そんな時、私ならこう返します。
「望もうが望むまいが、学習の場を与えられた時に、どう振る舞うかを考えるのはその人自身であり、講師ではありません。だから、あなたの人生を考えるのは私ではないよ」といいますね。
自分の人生のオーナーが自分だと思っていればこそ、自分を成長させる感覚が持てるのかなと思っています。
せっかくセミナーに来たのだから、その点に気づいてほしいとも思います。
講師の立場にいる私からすると、受講者にはそうなってほしいのです。
研修という場の迫力
―「この研修の機会をあなたはどう捉えますか」「今日という日をどう生きますか」といったメッセージは、面と向かってだからこそ迫力をもって伝わるように思います。
(関根)
研修とは「教える」だけの場ではありません。これからどうやって生きていくのかを、受講者と一緒に考える場所なのです。セミナーの場自体が、かけがえのない人材育成の場だと思っています。
「教える」ことと「見守る・育てる」ことの両方で人材を育てている数時間なのです。軽く見ている人がいたら「あなたはやったことがありますか」と聞きたいです。「あなたは人に向かって7時間全力投球したことがありますか」とね。
そういうことを軽く考えている人がいるのです。人材育成に正面から向き合っていない人の特徴です。そう考えると、研修というのはすごく重いことですよ。
―それで、受講者に研修冒頭から”先制パンチ”を出しているんですね。
(関根)
「人生においてあなたは成長したいと思いますか」と、1発かましていますよ。少しは反応が変わります。
技術系の人には、同様の仕事をやってきた経験のある人のセリフの方が、説得力を増します。仕事や組織の構造が分かり、想像がつき、引っかかる部分も知っているからでしょう。
技術系でない人が言う言葉よりは、受け取ろうと思ってくれるのではないでしょうか。私は場を共有し、受講者と「正対」して育成しようと思っていますよ。一生に1回の出会いでお互いに最高のパフォーマンス、最大のパワーを出すということになろうかと思います。
研修講師の本当の役割とは?
―研修講師の中でも、”今の受講者その人に伝わるものだけ伝わればいい”、と考えている方もいると思います。
(関根)
以前の私もそうでした。何が変わったかというと、繰り返しますが受講者に「正対」するようになったのです。「何を言われても、どんな質問が来ても良い」と思えるようになりました。答えられないときは、素直に「答えられない」と言えます。
以前はそうではなかったですね。「こんなこと聞かれたら嫌だな」と心の中で思っていました。
「こんな上司がいて、本国からこんなことを言ってくるけど、どうしたらいいですか」と尋ねられたら、今は「自分で考えたらどう?」と言えます。
研修を提供する、とはそういうことですよね。知識を切り売りするのとは違います。そう思って受講者に向き合っているから、響いてくるものも違うのでしょう。
―教え方の力量とは違う軸があり、使命感に近いのかもしれません。
(関根)
まさにそういう感じですね。
―企業の人事の方でも、人材育成は社員に人生の転機を提供している仕事かもしれない、その重さと使命を感じているというお話を伺ったことがあります。
(関根)
人材育成の仕事の使命を分かっている人は、短期的な見えやすい成果ばかりに囚われないと思います。
私の研修は面白い話を盛り込んだり、柔らかいタッチで進めたりしていますが、自分としては“人生に1度きりの工作”をしているつもりです。
講師も受講者もお互いにこの場を共に過ごせて「良かったね」と言えるようにするのが、私の役割だと思い直しました。
最近になって「こういう仕事をしていたのか」と思えるようになりました。
ベテラン人気講師が開いた、新しい境地とは
-関根さんが毎回の研修を“人生に1度きり”というつもりで全力投球されたり、参加者と「正対」するようになった、そのきっかけがこの1年にあったのでしょうか。
(関根)
一昨年、大きい病気に罹りました。そのときは人生の終わりだと感じました。もしかしたら亡くなっていたかと思うと、ラッキーだと思えます。だったら、「誰かのために役立たないといけない」と考えたのです。
もう1つは病気で弱気になって「もう仕事はそこそこでいいか」という思いがよぎったときに、自分の限界を決めるのは自分であることに気づきました。そのとき、私はずっと「残りの人生が少ないなら、少ないなりに頑張った方がいい」と思っていたことを思い出しました。
「くじけてもそこから立ち直ったら格好良くないか」とか、「そういう人生がいいな」とかね。自分の中で格好良い人生を歩もうと決めたわけです。儲けることとか有名になることではなく、決してくじけない、最後の最後まで成長し、頑張る人生が格好良いと感じました。冷静に考えて自分の人生の「格好良さ」を自分で定義するのは大事なことです。
その生き様を貫かなかったら、最後に死ぬとき、ほめられないと思いました。他人は誰もほめてくれなくてもいいですが、せめて自分でほめないとね。
-今の話は初めて伺いました。
(関根)
研修の受講者も「この講師は楽しくて明るくてオヤジギャグをいうけれど、他の人とはちょっと違う」みたいな感じで接してくれるようになったように思います。自分が思いを伝えることで人生を切り開ける人がいるのなら、その人に届けないのは自分の生き様として良くないと考えてやっているだけです。
全員が納得してくれているかどうかは分かりません。押しつけにならないよう言い方は気をつけています。人によって違いますが、気づく人は気づいてくれているはずですから。
だからレポートに「『教える』『教えない』のバランスを考えて、部下のことを考えてみたい」と書いていただけたら、それでいいかなと思っています。「人材育成はすごく悩むテーマだ」でもいいでしょう。
公開セミナーの受講者に受講レポートを書いていただいていますが、あるときから「頑張って書いてくれたのだから、頑張りに見合うぐらい応援しなければいけないな」と思い、まとめシートの大事な部分と思う所に線を引くようにしました。
そうしたら良いことが書いてあります。そこであらためて「私はこんなことを話しているのか」、「あれ、良い言葉だな」、「そういえばこんなことを言ったな」と思ったのです。
-他者に何が響くのか、それが分かると”学び合い”みたいになりますね。
(関根)
研修中はその場の直感で話していますから、実際に書いてもらった通りの言葉だったかどうかは確かめられません。ですが、その人にはそう届き、うまくまとめてくれたのだと思います。それで受講者と「正対する」ということがやっと分かりました。講師としての自分の成長にこのことが必要だったことも初めて気がつきました。
-関根さんはお客様の評価も高く人気で、研修では年間1,000人に近い方に会っていらっしゃいます。その数の人に正対するのはエネルギーが必要ですね。
(関根)
逆に受講者からもエネルギーをもらっています。相手に正対することも精神エネルギーのトレーニングになっているのではないでしょうか。集中しないといけませんからね。でも、今はそれができるようになっています。
-研修講師だけでなく、研修を提供するスタッフも、お客様や受講者に正対するということは共通していると思います。自分の役割を果たしているかどうかいつも問わなければならないと思います。
(関根)
最近お引き受けした仕事で、いろいろなことを注文され難易度が高かったのですが、「自分が飛躍するチャンスだ」と思い、正面から受け止めてやり上げました。
頑張っているうちに、いろんなことが分かってきて、元の専門以外の仕事までどんどん増えていくんですよね。
人材開発の方も、本当にその分野のプロになるのであれば、研修の現場に私たちと一緒に身を置いて、真剣に参加者やそこから新しく見える課題に立ち向かいましょう、とお伝えしたいですね。
◆関根 利和(せきね としかず)プロフィール◆
1954年生まれ。1977年埼玉大学理工学部 卒業
外資系自動車部品メーカー勤務を経て現職。数多くの企業において、人材育成、目標管理制度、業務分析、プロジェクト支援、ネットワークの構築・運用管理等のコンサルティングを手掛ける。特に人材育成では、経営幹部から管理職、中堅層まで幅広く対象としている。豊かな経験を踏まえた実践的で明快な指導には定評がある。”難しい話をわかりやすく”がモットー。